紅の結鎖 7

真夜中に補佐官邸、玄関のドアを叩く音が鳴り響く。こんな時間に何事かとロザリアが玄関を開けると息を切らせて鋼の守護聖が飛び込んできた。
「どうなさったんです、こんな時間に。」
「急ぎなんだ。女王宮の門を開けてくれ。」
こんな真夜中に?といぶかしがるロザリアに構わずゼフェルはたたみかける。
「今日、オスカーが口をつけたペットボトル。あれの分析結果が出たんだ。すぐに隔離して適切な処置をしないと大変なことになるってんで、あいつの閉じこもってる執務室に行ったんだが、いないんだよ。正門からは出ていない。窓の鎧戸をぶちこわして飛び出してやがる。」
「なんですって…でも一体、何故窓から…。そんな閉じこめられていたわけでもないのに。」
「閉じこめてたんだよ。自分で自分を。椅子に縄までかかっていやがった。ところがどうにも我慢できなくなって自分で縛っていた縄を引きちぎって飛び出しやがったんだ。」
「そんな滅茶苦茶な…でも、そうまでして一体どこへ…まさか…」
「あいつが行くところなんて決まってるじゃねえか。女王宮だよ。あいつ、アンジェリークのところに行ったんだ。すぐに取り押さえねえと……」
ゼフェルは一旦言葉を切った。
「……アンジェリークも感染する………」

女王宮の女王の私室。窓は開け放たれ、部屋の中は散乱している。天蓋付きの広い寝台。幾重にも重なったうすいヴェールのようなカーテンは引きちぎられ、その奥に人影が浮かぶ。気を失い力なく倒れている女王アンジェリークと彼女を抱きかかえる炎の守護聖。女王の白い肩とのびた首筋はこの略奪者の前に無防備にさらけ出されている。首筋のすぐ側まで近づいたまま何時間も微動だにしなかった唇がふいに彼女の名を呼ぶ。
「……アンジェリーク……」
なにかに耐えているかのように、絞り出される声。もはや隠しようがないくらいのびた犬歯がオスカーの唇を切る。


アンジェリークの頬をはたく音に我に返ったオスカーは、それでもなお抱きかかえた彼女を離すことができなかった。このままアンジェリークの柔らかな首にかぶりつき、そのとろけるような血をすすることができたら…。アンジェリークの紅い血は彼女の命そのもののように甘く、柔らかく…それがオスカーの体の中にとけ込んで一つになる。それはどこまでも背徳的で甘美な誘惑。だが…

この穢れを知らない天使に牙を立てることは同時に彼女を自分と同じ忌まわしい存在におとしめることになる。白い羽根は二度と羽ばたくことをやめ、光も花もすべてが彼女の前から消える。
「……アンジェリーク……」
金色の髪を何度もすき、その柔らかい体をかき抱く。甘い香りが胸の中に広がる。叩いてしまった柔らかい頬。どんなに痛かっただろうとその大きな手でそっとふれると、オスカーはアンジェリークの体を横たえた。夜が明ければ3日目。呪いは成就し、この身は朽ちる。最期にその顔をみておきたいとアンジェリークの顔をのぞきこむと、不覚にも彼女の頬に涙がこぼれ落ちた。

こんな忌まわしい体でも、涙が残っていたんだな…と自嘲的に思った。


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