紅の結鎖 5
オスカーが出仕して2日目。しかし、当の炎の守護聖は一向に女王に謁見しようとはしなかった。
「おかしいですわね。あれだけ長く休んだあとに出仕したら、陛下に一度は挨拶に来るのが最低限の礼儀でしょうに。」
女王補佐官ロザリアが怪訝な表情で女王に話しかける。女王であり、親友でもあるアンジェリークとその想い人オスカーとの仲は重々承知の上だ。だというのに、姿さえ見せないオスカーに軽い苛立ちを覚える。あんなに心配をかけておいて、と言いかけて、ロザリアは口をつぐむ。アンジェリークは浮かない表情で黙ったままだ。
「あのね、ロザリア。私、あとで執務室の方まで行ってみようかと思うんだけど。」
「とんでもない!女王自らが守護聖の執務室に向かうなんて。言っておくけど、表向きは貴女とオスカー様は女王と臣下の関係なのよ。臣下であるオスカー様から女王執務室に足を運ぶのが筋でしょう。…って、そんなに気になるんだったら、お忍びで私邸の方に行けばいいのに。」
「…戻ってないの…。 オスカー様…ご自宅にも戻らないで執務室にこもりっきりなの…。」
はっとなってロザリアはアンジェリークの方を向く。アンジェリークの瞳が涙で潤む。
「どうしちゃったのかな、オスカー様。ごめんなさい、怒らないでね、ロザリア。私、本当は昨日オスカー様の執務室まで行ったの。私だってわかってたはずなのに、オスカー様ドアも開けてくれなかった。私、何かあの方の気に障ることしたのかな。でも、全然わからないの。オスカー様が何を考えてるのかわからなくて、私どうしたらいいのかわからなくて…辛くて…苦しいの…。」
アンジェリークの目からぼろぼろと涙がこぼれる。 その様子はまるで捨てられた子犬か仔猫のように頼りない。「創世の女王」として人々から畏敬の念をもたれ、「天使」として愛されている力に満ちた女王。しかし、オスカーがいなければこの子はこんなにももろい。アンジェリークはオスカーのために女王となり、世界を救い、支えている…ロザリアは時々そのことが空恐ろしい気になる。この二人は二人で一対。オスカーとて同じだ。破壊の力を備えた炎のサクリアは、守るべき女王アンジェリークがいることで常に制御されている。
「世界のかなめ…」 ロザリアは心の中でそっとつぶやいた。
「守護聖の誰かをオスカーさまの所へ使いに出しましょう。」
ロザリアはべそをかいている親友に優しく声をかけた。
「よお、入るぜ。」
勝手に作ったマスターキーを使い、ゼフェルはノックも無しに炎の守護聖の執務室のドアを開ける。オスカーはここ2日ほど執務室に閉じこもったまま鍵をかけ、誰一人部屋へ入れようとしない。ドアを開けてゼフェルはぎょっとなる。窓の鎧戸はすべて閉められ、小さな灯りが一つともっているだけだ。(ここ、本当にオスカーの部屋かよ。クラヴィスの部屋の方がまだましだぜ。っていうより、なんか…ここ…)薄気味が悪いと思った時、部屋の隅に置かれているソファの上でぐったりとしているオスカーを見つけた。眠ってはいないようでこちらを見る目がやけにぎらぎらとしている気がする。
「大丈夫かよ、おっさん。腹でもすかしてるんじゃないかと思って差し入れに来てやったぜ。」
「……腹か…いや、今は何も食べる気にならん…ちょっと受けつけなくてな…。」
ゼフェルは持ってきたジャンクフードをおろし、ミネラルウォーターのペットボトルをオスカーに投げてよこす。
「だけど、水ぐらいなら飲めるだろ。人間、水を3日の飲まねえとしんじまうそうだからな。水も飲んでないわけじゃねえだろ。アンジェリークも心配してたぜ。」
ペットボトルに口をつけながら、オスカーはアンジェリークの名前を聞いてびくっとなる。
「なーんか端で見てても可哀想なくらいしょげちまってるよ。お前、アンジェリークにまで会ってないんだって…」
ここまで言いかけてオスカーの方をむくと、ゼフェルはぎょっとする。うつむき加減に下を向いたオスカーは口を押さえ、さっき飲んでいたはずの水をぱたぱたとこぼしている。
「おい、水も飲めねえのかよ。やべぇよ、早いとこ医者に…」
「…アンジェ…リーク……」
オスカーの目がぎらりと光る。握った手ががたがたと震え、息が荒くなる。
「どうしたってんだよ。呼んでくるか。今更、女王だって気にすることねえだろ。お前の今の様子を聞いたらあいつ飛んでくる……」
「呼ぶな!!」
大声で怒鳴りつけられゼフェルはかたまる。
「絶対に彼女を呼ぶな。俺に彼女を近づけるな。俺は…俺は………」
殺気にも似た、怒気を含んだ声にゼフェルは後ずさる。
「…すまないが、出ていってくれ…」
ゼフェルから目をそらし、息を整えながらオスカーはぼそっと話す。
「…わかったよ……ボトルよこせよ。始末しておくからさ。」
「すまん……」
口を付けたミネラルウオーターのペットボトルを手にゼフェルはオスカーの執務室を出る。廊下ではロザリアの命をうけたエルンストが心配そうに立っていた。ゼフェルはさっき受け取ったペットボトルを投げて渡すと
「おい、これ医療班に渡しといてくれ。分析を頼む。オスカーの奴…ありゃあ…フツーじゃねえ。」
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