紅の結鎖 4

「ご主人様、食が進まれないようですが、今日の出仕は取りやめられてはいかがですか。」
老練な執事がほとんど手のつけられていない朝食の片づけの指示を出しながら、主の体を気遣う。確かに、オスカーにとっては最悪の気分の朝だった。夢見が悪すぎる。まだ手の中にはぬっとりとした血の感触が残るようだ。彼の最も大切な天使をその手にかける悪夢。それだけに今日は何としても聖殿に行き、彼女の顔を見ずにはいられない。
「大丈夫だ。何日も職務を放棄していたようだからな。厩舎に連絡して馬をひかせてくれ。」
「馬…ですか。今日は馬車の方がよろしいのでは。」
体の方は本調子とは言い難いようだが、動き回れないわけではない。この位のことで…と執事の言葉を苦笑して返すと、オスカーは食卓をたちあがる。 玄関を出ようとしたとき、元気よくドアのチャイムが鳴る。
「おはようございます。オスカー様。マルセルです。もう出仕して大丈夫なんですか。ずっと面会謝絶で陛下以外だれもお部屋に入れなかったものですから、お見舞いにもこれなくてごめんなさい。遅くなっちゃっいましたけど、これ…オスカーさまは確か薔薇の花がお好きでしたよね。」
庭で咲いたという真っ赤な薔薇を抱えて、小さな後輩が立っている。薔薇の花はオスカーの好きな花だ。マルセルが庭で育てたという薔薇は花屋で買うものとは違ってところどころ長さが違っていたり不揃いなところもあるが、その強烈な香気は到底花屋に並ぶ花と比べることはできない。生気に満ちているというのだろうか、紅い薔薇の花のむせ返るような香りと強烈な色彩。まるで血のようだ…と思いながら、オスカーは手を伸ばす。
その瞬間

 

 

薔薇の花は一瞬にして四散した。飛び散る花弁はまさに血飛沫のようだった。
「…ど…どうして…。今朝咲いたばかりの花なのに……。」
驚いたマルセルが玄関のドアにぶつかる。鍵のかかっていないドアが開いて、まぶしいほどの朝日が屋内に飛び込む。目もくらむばかりの眩しさにオスカーの目の前は真っ白になった。
「…オスカー様?どうなさったんですか、オスカー様!」
マルセルの声にはっと我に返る。
「すまない…ちょっと立ちくらみをおこしたようだ。薔薇の花はすまなかった。せっかく切ってきたっていうのに、どうしちまったんだろうな。」
「まるで吸血鬼みたいですね。」
何気なく言ったであろうマルセルの言葉に愕然となる。
「吸血鬼が薔薇の花にさわると、生気を吸い取られて薔薇は枯れてしまうんだそうです。…って、すみません。きっと、僕運ぶ途中乱暴に扱っちゃったのかも知れません。少しでも早くオスカー様にお届けしようと思って走ってきましたから。」
吸血鬼…吸血鬼…オスカーの頭でぐるぐるとその言葉が回る。
「ご主人様、馬の用意ができました。」
忠実な執事の声がする。
「…いや、今日は馬はやめておく。すまないが馬車を用意してくれないか。緑の守護聖殿も送り届けることにする。」
「え、いいんですか。でも、馬車だと遅いですよ。オスカーさま一番に陛下にお会いになるんじゃ。」
変なところで気がまわる後輩に作り笑いを浮かべながら、オスカーは言った。
「アンジェリーク…陛下には当分会うつもりはない……。」

「3日のうちよ。3日のうちにあの娘を仲間にしなければ、貴方は死ぬ。」
夢の中の女の言葉が怖ろしいほどの現実味をもってオスカーに迫ってきた。あれは…本当に夢だったのか。それともこれから起こりうる現実なのか。我が身を濡らすアンジェリークの鮮血。オスカーの体は冷え切って、冷たい汗がながれた。まるで死人のように。


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