船幽霊5
その夜、久しぶりに父の夢を見た。
そういえば、昔こんな夢を見ていたのだと夢の中で思った。
帽子を目深にかぶり少しくたびれた上着を着て父はこっちに歩いてくる。
俺は子供の姿で、父に向かって必死になって駆け寄る。
(お父さん、お父さん)
どうしてずっと帰ってきてくれなかったんだ、と父の上着にしがみつく。
(‥そりゃあ、お前、お前が俺を忘れたから。忘れようとしていたから)
母の葬儀の日以来、父の夢は見なくなった。
幽霊でもいいと思った父は母の方便で、自分の作り出した幻のようなものだ、そう思おうとしていた。
(‥だけど、お前はまた俺を思い出してくれたんだなぁ)
夢の中の父は大きな手で顔を上着に押し付けたままの俺の髪をくしゃくしゃと乱暴にかきまわす。
どうして忘れていたんだろう、この手の大きさを。
(本当のお前は大きくなったんだろう?
俺が必要でなくなるくらいに。
幽霊にできるのはここまでだ。
もう、俺がお前にしてやれることは何もない。
それじゃ、俺は行くから。)
(‥待って、置いてかないで!連れて行って、お父さん!)
ずっと、貴方を探していた。
だから海に出た。貴方を追いかけて‥
「しょーがねぇなぁ」
思わず俺は顔を上げる。
これまで顔を上げたらそこには真っ暗な穴のようなものがあいていて見ることができなかった父の顔。
それがいやでいつもディーゼルと煙草の匂いの上着に顔をうずめていた。
それをわすれて見上げた父の顔は
「‥艦長‥?」
いつのまにか子供の姿だった自分は今の姿となり、父と思っていた幻は艦長の姿になる。
ここは‥たつなみだ‥
「何ぼやっとしてるんだ。すぐ出航だぞ。」
「‥あ、はい、了解」
夢の中で自分の持ち場に走る。
走りながら、もう今度こそ本当にあの父の夢は見ない気がした。
父の顔はもはや空虚な空洞ではなく、幻は現実と重なった。
俺の中で船幽霊はその役割を終えたのだ。
【とりあえず、了】