船幽霊6(おまけの深町編)
「おかえりなさい」
いつの頃からか、うちの副長の速水は艦にもどるたび俺にそう声をかけてくるようになった。
速水は有能な副長だ。
艦の細かいところまで気がつくし、多少、口うるさいが引くべきところはちゃんとわきまえている。
ちぃとばっか変わってる気もするが。
「速水副長は艦長に気があるんじゃないですか。」
南波の口からそんな冗談がひょいと飛び出した。
「いや、なんかときどきぼーっと艦長を見てるんで。
副長は絶対あっち系ですぜ。
見かけはああだけど、もういい歳でしょう。
だってのに嫁さんどころか女の影もありゃしない。」
ばかやろ、人の女のことより自分のことを心配しろ‥といったが、南波はあれでけっこうモテる。
それより速水のほうは本当に女の影もない。
海自イチの別嬪と言われているだけあって速水はたしかに顔はいい。
女に不自由しそうには見えんが、そういうこともあるんだろうとおもっていた。
そういえば速水は以前変なことを言っていた。
俺とどこかで会ったことはないか、と。
海自でも防大でもない、もっと以前に。
(この顔だったら、一度見たら絶対忘れないだろうになぁ)
と、奴は言ったが、ばかやろ、それはこっちの台詞だ。
まぁ、俺にはそんな覚えはないし、あいつもそれ以来その話はしていない‥って、その頃からか?あいつが「おかえりなさい」とかいって俺を出迎えるようになったのは。
美人で有能だが、とにかくよくわからん男だ。
そういえば、もう一人そんな奴がいたな‥‥
☆ ☆ ☆
そのもう一人の変な奴が日本とアメリカを巻き込んでの大騒ぎをやらかしやがって、おかげで俺の「たつなみ」も大立ち回りをする羽目になっちまった。
米原潜のやつあたりで「たつなみ」は損傷。
艦が沈没するまでのわずかな時間に乗組員全員を脱出させなければならない。
洋上は速水に任せれば大丈夫だ。
艦と乗組員の命を預かる俺は沈む「たつなみ」の中、半分意識を失いかけていた瀬川を抱えてハッチに向かう。
退艦は艦長が最後と決まっている。
「艦長ーっ!」
ごうごうと滝のようにながれこむ海水の音にまぎれ速水の声が聞こえた気がした。
☆ ☆ ☆
「はるな」の甲板で速水は一言も口をきかない。
救助された他の連中の様子を一通り見てまわり、もみくちゃにされたあとだけにこの沈黙は重い。
どうもひどく怒っているらしいが俺には怒られる理由が見つからない。
長い時間、二人して黙ったまま暗い海を眺めつづけた。
間が持たないのでさっきわけてもらった煙草に火をつける。
煙草の匂いが暗い甲板に広がる。
「‥また‥置いていく気かと思った‥」
ぼそっと速水がつぶやく。
「今度こそ本物の幽霊になったかと‥」
振り向くと速水は俺のほうを見ながら、暗闇の中泣いていた。
俺は速水にひどく悪いことをしたのだとはじめて感じた。
たとえそれが艦長として正しい行動だったとしても。
「すまん」
悪いことをしたのはわかったが、どう言っていいのかわからないので短く告げる、刹那、速水は俺に抱きついてきた。
すがりつくように俺の背中に腕を回し顔を俺の胸に顔をうずめてる。
‥まて、これは違うぞ、少なくとも救助された他の連中とこいつの行動は明らかに違う。
(速水副長は艦長に気があるんじゃないですか)
南波の冗談が頭をよぎる。
バカな、それはただの冗談で‥
いかん、速水、それは断固として間違っている。
俺は男でおまえもれっきとした男なのだから、こんな男女のような抱擁はしてはいかんのだ!
あわてて押し返そうとした速水の肩は‥震えていた。
そう、しゃくりあげるように、いい歳した男が泣くのをこらえようとして嗚咽していた。
‥なんだ?お前、小さい子供みたいだぞ‥?
なんか一瞬あせった自分がバカらしく思えてきて、速水の頭に手を乗せるとぐしゃぐしゃとかき回した。
小さい子供をあやすみたいに。
とたん、速水の肩の震えはとまり、すうっと息をしたかと思うと、こてん、と俺に頭を預けてきた。
小さな、ほんの小さな声で
「お父さん」
と言ったのを俺は聞かなかったことにした。
おれはこんなでっかい息子を持った覚えなぞないのだ。
大体、歳だって本当はそう違わない。
ただ、こいつがまるで迷子の子供みたいだったからしばらくこうしていてやることにした。
暗い海の向こうにはさっきの騒ぎなどまるでなかったように灯台の明かりがちかり、ちかりと光っている。
【というわけで、おまけの深町編 了】