船幽霊4

基地の入り口ちかく、建物内に入ることはなくあまり人目につかないところで父の秘書は立っていた。
「先日の話ですがそろそろお返事をいただけませんか。」
会ったこともないどこかの代議士の娘との縁談。
妾腹であっても血縁は血縁、代議士同士のつながりを強くするのに使えるのであればどうとでも出自はごまかせるのだろう。
「その話は先日お断りしたはずですが。」
「相手の方がたいそう乗り気なのですよ。それと先生も今回の縁談を機に自衛隊勤務を辞めるよう勧めていらっしゃいます。ポストはこちらで用意いたしますから。」
平和主義を前面に打ち出している父としては息子が自衛官ではまずいというわけだ。
「こちらのほうで辞めていただくように手配することもできるのですが、できれば辞職と言うほうがなにかと円満にことは進むと思うのですよ。」
冗談じゃない、母が亡くなった時、父は自分を認知もしていなかった。
自分にはもはや家族はいない。
自分のいるべきところを探して海まで来た。
海に行けばきっと自分の居場所があるはずだという漠然とした想い。なぜなら海にはいるはずなのだから‥‥
「‥誰が‥?」
思いをめぐらせて、ふと思った。俺は誰かを探していた?
まるで幽霊のような漠然としたイメージ
母が死んで以来、見ることがなくなった夢
いや、父の存在を知って以来、打ち消しながらも心の奥底で探しつづけてきたディーゼルと煙草の匂い
「おい、速水」
背後から声がかかる。
ちょうど自分が思い描いていた船幽霊が突然声をかけてきたようで、俺は多分そのとき鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていたに違いない。
「艦長」
「なにやら込み入った話みたいだが、お前の親父にしてはなんかまだ若そうだな。貫禄もない。」
「‥これは‥私は先生の秘書で‥」
「ああ、別に紹介はいい。俺はこいつの上司で、こいつは海自をやめる気はないと言っている。だったら話は終わりだ。」
腹のそこから響く声で、艦長はいつもの如く思い切り顔を相手に近づける。
「な‥なんですか、失礼な。脅かす気ですか。これは恫喝です、表沙汰になったら‥」
「ごちゃごちゃうるせえな。表ざたにできるもんならやってみやがれ。こいつは俺の艦の副長だ。だれだろうと俺の艦の奴に手ぇだしたらただじゃおかねぇ。そこんとこわかってて言ってるんだろうな!」
艦長の大声で周囲が騒がしくなってくる。
ばらばらと駆けつけてくる足音に父の秘書はそそくさと立ち去った。
表沙汰にできないのは向こうのほうか。
ちょっと気が抜けてがくんと肩が落ちる。支えるように艦長の手が肩をつかむ。
「なんでここにきたんです?」
「なんだよ、ごあいさつだな。知るかよ、お前がすごく困ったような顔をして歩いてくから気になっただけだ。迷惑だったのか?」
艦長は不満そうな困ったような顔をする。
「いえ、助かりました。」
といって、笑って見せると、そうか、と言って艦長はほっとした顔をする。
なんでこの人に人がつくのかわかったような気がした。
なんでこの人に見覚えがあったのかわかったような気がした。
艦長からはディーゼルの油の匂いと煙草の匂いがする。

next