船幽霊2

父の夢は何度も見た。
広い背中、力強い腕、軽々とまだ子供の俺を抱き上げ大きな声で笑う。
「おとうさん
 おとうさん」
「なんだァ、健次」
しかし、俺の顔をのぞきこむその顔はやはり空洞で真っ暗な穴のようだ。
もしかしたら、父はとっくに海で死んでいて幽霊になって自分のところへ帰ってきているのかもしれない。
なんとなくそれでもいいような気がした。
遠い外洋で死んでなお自分のもとに帰ってきてくれる父
自分を慈しんでくれる大きな存在
夢の中の父親に思慕を深めるほど、その父の顔を思い出せない自分に申し訳なさを感じた。
「お父さん」
夢の中で父親にしがみつく
顔を父の上着にうずめる
「なんだ?甘えやがって」
きっとお父さんは目を細くして顔をくしゃくしゃにして笑顔を作っているはずだ。
でも、その顔を見上げるときっとそれは真っ黒な空洞でしかないのが淋しくて決して顔をあげて父の顔を見ようとはしない。
少しくたびれた上着からは海の匂いとディーゼルの油の匂い、そして煙草の匂いがした。
やがて、俺は夢の中の父と同じくらいの背丈となり、声も変わり、顔立ちこそ母親にそっくりだったが髭も生えるようになり‥しかし、夢の中の父の姿は変わらない。
遠い海に出かけたまま帰ってこない父親
火事で焼けてしまったから写真も残っていない父親が実は生きていたとわかったのは母の葬儀のときだった。
生きているはずの父は母の葬儀にも立ち会うことはなかった。
「どこのお偉い議員さんか知らないけどねぇ‥」
と、つぶやく近所のおばさんの声が耳に入る。
ああ、そうだったのか
自分の名前がなぜ「健次」だったのか
おそらく父にはほかに息子がいるのだろう。
母とはまったく別の「妻」と呼ばれる女性との間に生まれた息子が。
大学受験は目前だったが、あったこともないおそらくあうこともないであろう父親を頼る気もなく、翌年俺は防衛大へ進むことにした。

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