びゅうびゅうと風を切る音を聞いて、アルフォンスは恐る恐る目を開いた。
眼下に広がる景色は今まで見た事も無い、壮大で優雅で地球そのものの形をしていた。

「うわぁ〜、すっごーい!!」

上空の空気はさらに冷たく、頬が凍りそうだったがそれよりも木々が小さく見える方が楽しくて、高揚していた。
ぐんぐんと流れる景色を見ていたら、急に暗い木穴へと放り込まれた。
埃っぽくって、空気がよどんでいる。
入るなりケホケホと数回、咳き込んだほどだ。


「…ここ、何処?」

薄暗いそこに、外界からの光でシルエットが浮かんだ。
背の高い男のようだった。

「ここはオレの家だ。」
「あなたの?へえ、そうなんだ。」

目を凝らしてみても、その声の主が良く見えなかった。

「ねえ、ロウソクを付けてもいい?暗くて良く見えないんだけど。」

返事を聞く前に、アルフォンスは大きなリュックサックからミツで出来たロウソクを取り出し火をつける。
辺りが明るくなると、何とも言えない陰気な部屋だった。
そして自分を連れてきた者をみる。
見上げる程の大きな体躯で、アルフォンスの白い肌と違い浅黒かった。
そして猛禽類独特の威圧感のある鋭い紅い瞳の持ち主だ。
眉間には深いしわが刻まれていて、上から見下ろされる。

「…あなたは、大鷲なの?」
「ああそうだ。で、貴様はオレの大事なお客と言う訳だ。」
「お客?ボクが??」
「ここにカレンダーがある。」

もう残り1枚になったカレンダーが壁にかかっていた。
周りの色が変色していて、何年もここにあるかのようだ。

「この文字を読んでみろ。」
「えっと、『あなたの街のセントラル銀行』??」
「そっちではない!この丸のついている所だ。」
「…誕生日?誰の?」
「オレのだ。」
「そうなんだ、おめでとう。じゃあ、お祝いだね。」
「そう、お祝いにお前を食べるんだ。」

カチンとアルフォンスは動きが止まった。
そういえば、大鷲が捕まえたのはなにも遊ぶためではないのだろう。

「ボクを食べるの?」
「そうだ、こんな冬の時期に丸々と太ったお前を見つけたのだから天からのプレゼントだろう。」
「え〜、嫌だな。まだ5日もあるよ?逃げたらどうする?」

そいうと大鷲は大声で笑った。
そして、少し身体をずらして外が見えるようにした。
アルフォンスはおずおずと外を見る。
すると見慣れている地面は遥か彼方の下に広がっていた。

「落ちたら死ぬぞ。まあ、その時はそのまま食ってやるがな。」
「どっちにしろ食べるんだ。」

少し絶望的な気分になりながら、下を覗き込んでいた。
歩いてみて気が付いたのだが、転んだ拍子に足も痛めていたようで木を下りる事も出来そうにない。
大きく肩で溜息をついて、アルフォンスは部屋の中へと戻っていった。
歩くたびにほこりが舞い、とても不快だった。

「ねえ、酷い部屋だね。ここに居る間は掃除させてもらうよ。」
「もう5日しかない。そんな事しなくてもいいだろう。」
「嫌だよ。気分が悪い。」
「ふん、勝手にしろ。」
「そうさせてもらうね。えっと、ボクはアルフォンス・エルリック。おじさんは?」
「…名前などない。」
「友達とか家族には何て呼ばれているの?」
「そんな者など、いない。」
「そうなの?でも、呼ぶのに困るな・・・。わっ、顔に大きな傷があるね!どうしたの?」
「うるさいガキだ。黙っていろ。」
「バッテン傷なんて、痛かったんじゃない?」
「黙れガキっ!」
「ガキじゃない、アルフォンスだよ。アルって呼んでくれてもいいけど。」

にっこりと笑ってみる。
でも、傷の男は表情を崩しもせずに難しい顔をしたままだった。
木穴の中は風も吹き込まずに、外よりもだいぶ暖かい。
何枚も重ね着していたアルフォンスは、段々と暑く感じていた。

「ちょっと服を脱がせて貰うね。」

そういうと、上着を2枚脱ぎ、セーターを3枚脱ぎ、ズボンを2枚と靴下は全部脱いだ。
新しい濡れていない靴下を履くと、リュックのそこからボアのスリッパを出して履いた。

「あー、すっきりした。重ね着って動きにくくてさ。」
「・・・なんだお前、そんなにヒョロヒョロだったのか・・・。食うところなんて少ししかないな。」
「そうかな?結構鍛えてるから、脱ぐと凄いかもよ。」
「馬鹿なガキだ。骨ばかりなら、今すぐ追い出したものを。」
「そっか!」

そいうと可笑しそうに笑った。
笑いすぎて、埃を吸い咳き込んだ。

「もうヤダ。掃除させてもらうから。」
「ふん、変わったガキだな。俺は外で縄張りを見張ってくる。」
「なわばり?」
「隙をついてあいつらはオレの居場所を奪いに来るのだ。」
「そう、いってらっしゃ〜い。」

元気に大鷲を見送ると、アルフォンスは部屋を改めて見回した。
足元には食べ散らかした跡があり、部屋のベッドにはいつから洗っていないのかわからない毛布がかかっている。
小さなテーブルには食器が積み重なり、それも埃をかぶっているのでいつの物かも見当がつかない。
元来きれい好きで、兄と一緒に暮らしている時にも掃除をしているのでこの状況は本当に許しがたいものだった。

「こりゃ、やりがいがあるね。とりあえず、かたずけてから考えよう。」

すぐには食べられない事がわかって、アルフォンスは安堵していた。
きっとエドワードも自分を探して、こちらに向ってくるだろう。
深く思慮したいアルフォンスは、部屋をきれいにしてから考える事にした。
こんな廃墟のような部屋では、いいアイディアも浮かばないと思ったからだ。


要らなさそうな食べかけの食事や、部屋に溜まったゴミは外へと放り投げた。
食器類は全て洗って、棚へと並べてしまう。
毛布もかび臭くて嫌なにおいの原因だったから、ジャブジャブと持ってきていたラベンダーの石鹸で洗い外へ干した。
部屋の隅に置かれていた、ひびのはいった大きな鏡は入口において部屋の中に光を差し込ませた。
そしてすっかりきれいになった部屋を見回して、アルフォンスはようやく満足する。
汗だくになったので、濡らしたタオルで身体を拭いてすっきりすると急に腹ペコなのを思い出した。

「そうだ、お茶の葉があったんだ。」

小さなコッヘルとコンロを出すと、お茶の準備を始める。
ちょうどそこへ大鷲が帰ってきた。

「あ、おかえりなさい。ちょうどよかった。」

すっかり片付いた部屋に、大鷲は眉をひそめた。
いつもは暗くて、埃っぽい陰気な雰囲気だったのがほんのりと温かみを醸し出している。
それがとても今までの自分の部屋と違うので、他人の家に間違えて入ってきてしまったかのようだ。

「今お茶が入るからね。よかった、とっておきの葉っぱを持ってきていて。」

食器棚から大鷲の為にひとつカップを出すと、自分はリュックからアルミのマグカップを出して紅茶を注いだ。
ほのかに香るお茶の匂いが、部屋全体を包み込んでいった。

「ローストビーフは今日食べたほうがいいな…。ねえ、スカーさん、嫌いなものある?」
「…スカー?」
「そう、あなたの名前。教えてくれないから、勝手につけちゃった。『傷』って意味だよ。かっこいいでしょ?」
「ふん、変わった奴だ。」
「はい、ピタパン。今朝作ったばっかりだから、美味しいよ。」

小型のナイフで半分に切り分けると、アルフォンスは大鷲…スカーの前に皿を引いておいた。
たっぷりのローストビーフは、兄エドワードの好物だ。
兄のリュックにも入れてあるから、もしかしたら今頃食べているかもしれない。

「いただきます。」

がぶりとかぶりついて、アルフォンスは目を細めた。
美味しくて、満足だ。

「うーん、やっぱりブラックペッパーは欠かせないね。自分で言うのもなんだけど、美味しいや。ほら、スカーさんも食べて。」

空を飛びまわっていた為、スカーもお腹が空いていた。
いつもならウサギでも捕食するのだが、今日は何もお目にかかれなかったのだ。
言われるままに無言でパンを食べる。
中に甘辛いソースが入っていて、それがローストビーフによくあっていた。


「今日初めて空を飛んだけど、すごく気持ちいいんだね?なんか世界がちっぽけに見えたよ。」

紅茶をすすりながら、アルフォンスはスカーに話しかける。
いつも兄との食事はこうして語りながら、楽しく食事をするのが常だった。

「いつも空を好きなだけ飛べるなんて、羨ましいな。」
「…そうだろう、地べたを這いつくばって生きるなんてオレには考えられん。」
「そっかあ、羽があったらボクもそう思ったのかもしれないね。」

見下した言い方をしたにもかかわらず、文句も言わないアルフォンスにスカーはすっかり困惑してしまった。
スカーはこの傷が原因で、仲間から除け者にされ蔑まされていた。
でも、捕まえて食べようと思っていた少年はそんな事気にも留めずに話しかけ、笑いかけるのだ。
5日後には食べると宣言しているにもかかわらず、どういう神経なのだろうか?と。

「紅茶のお替りはいかが?スカーさん。」
「あ?ああ、頂こう。」
「本当ならこれにオレンジの皮ごと煮たマーマレードを落とすと美味しんだけどな。」
「無いのか?」
「もう木の高い所にしか実が残ってないから、ボクには取れないんだよ。」
「…そうか。」

すこし残念に思ったが、それは言わなかった。
外はすっかり暗くなり、スカーはもう外へは行かれない時間だった。
暗いと目が良く利かなくなるからだ。
アルフォンスも今朝早かった事や、色々と変化に富んだ1日だったのですっかり疲れて眠くなっていた。
大きなあくびをして、目をこする。

「ねえ、ボクどこで寝たらいい?」
「適当に寝ろ。」

そう言われて、アルフォンスは部屋の隅っこで持ってきていた服たちをベッド代わりにして横になった。
スカーの方は、いい匂いのするキレイな毛布にくるまりベッドに横たわる。

「おやすみ、スカーさん。」

アルフォンスはそう言うと、ロウソクの吹き消した。
真っ暗になった木穴で、これからの事を考えようとしたがあまりにも身体が疲れていたのでそのまま眠りについてしまった。