鹿屋

私の義父は「特攻くずれ」です。
特攻する予定だったのに特攻することなく終戦を迎えた者をそう呼んだそうです。

太平洋戦争の時、海軍の職業軍人だった義父は終戦間近鹿屋にいました。
鹿屋は旧海軍の特攻基地です。
輸送機を操縦していた義父は毎日戦友を運んで運んで
そのうち運ぶ友達が減ってきたとき「そろそろ自分だなぁ」とおもっていたそうです。

でも、自分の番が来る前に8月15日になってしまった。
みんな靖国に行ってしまった。
義父は郷里に帰って、孫六やらなんやらぜーんぶ田圃の隅っこで焼いて
それから田圃作って畑作って生きてきました。
当時、18歳だったそうです。
「自分みたいにかえってきちまった奴は『特攻くずれ』
靖国へ行った奴は『犬死』と呼ばれたんだ。」
と言ってあとはあまり話してくれません。

お盆になると都会から義兄が帰省します。
お嬢様学校にかよう姪っ子が白いレースのついた紺色のワンピースを着て
「おじいちゃま」と駆けてきます。
(すげぇ、今時こんな服があるんだ…つか、素でこれ着るんだ)
おじいちゃまって、この鍬もって泥ついたゴム長はいたこの人かい?と思うのですが
義父は生きてかえって息子を2人もうけ孫も生まれ

「やっぱり生きて帰ってきてよかったですよ。」というと
「そうだな」と答えてくれます。

「おじいちゃま、今度の修学旅行は飛行機なのよ。」
「気をつけんとな、飛行機は落ちるもんだから」
やだなぁ、どう気をつけるの?と笑う姪っ子にとって飛行機は乗客として乗るもので
義父にとって飛行機は自分で操縦桿握って飛ぶもので

義父はどんな遠くに旅行に行くときも飛行機には乗りません。
「飛行機は落ちるからな。俺の友達は誰も帰ってこなかった」

今年も8月15日がきました。
義父の戦友の人たちもそれぞれの郷里にかえっている頃でしょうか。